個人の尊厳を、「ひとりひとりが誇りをもって生き、そして最後を迎えることを選択できる権利」であり、「その権利に対応するひとりひとりの力」と定義しました。

そもそも「個人」という概念の発祥は、英米仏における立憲主義憲法の発展過程にあります。

立憲主義の本質は、国家権力によっては犯されない個人の権利があって、それは法律によっても、憲法の改編によっても犯されない絶対的なものであるという点です。

日本国憲法も「個人の尊厳」を法律や行政が追求する最高の価値と定めています。

13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

しかし、「生命、自由及び幸福追求」も「個人として尊重される」の意味も条文上明らかではありません。

そこで私は、13条の個人の尊厳を次の要素に分解して定義してみたいと思います。

  1. 「幸福」とは、「ひとりひとりが誇りをもって生き、そして最後を迎えること」である。
  2. 自由とは、自分にとって幸福な生き方、幸福な死に方を選択できるということである。
  3. 「誇りをもって生き、そして最後を迎える」のは、ひとりひとりの権利であると同時に、自分の責任である。つまり幸福は与えられるものではなく、自分でつかむものである。その為の力を得るための環境が平等に与えられることを、国家は保障しなければならない。
  4. この自由と権利を侵害する、いかなる法令、立法、行政、司法の活動および民間組織における事実上の支配も許されない。

個人の尊厳(Dignity)をこのように定義することによって、それを実現し保障するためには、「多様性」(Diversity)、「デジタル」(Digital)、「持続可能な成長」(SDGs)、「民主主義」(Democracy)も同時に、実現し保障されなければならないということにつながっていきます。例えば「生存権」の今日的内容は「デジタル社会権」である、といった具合に・・・

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