デモクラシーは5つのDの中で、最も定義が難しい(何でもありえる)概念だと言えます。

ここではDemocracyがDignityとどういう関係にあるのかを中心に考えます。「ひとりひとりが誇りをもって生き、そして最後を迎えることを選択できる権利」「その権利に対応するひとりひとりの力」を国が保障する為には、Democracyはどのような内容を持っていなければならないのでしょうか。

デモクラシーの基本は参政権だといわれます。それは、「個人の自由や財産に制限を加える法律の制定には、制限される個人が関与しなければならない」という「自己決定権」の思想がベースにあるからです。

しかし参政権が保障されている日本で、女性議員の数が10%にも満たないという状況は、人口の50%を占める女性の「自己決定権」が保障されてるかどうかに疑問を生じさせます。

また国や自治体による法律や条例の制定は、議院の過半数を占める与党が決定権を持ち、総理大臣や首長による行政活動はその法令に基づくので、デモクラシーの原理が保障されているように見えます。しかし実際には彼らの意思決定は、マスメディアの報道やSNSの炎上や圧力団体の運動などによって作られる、いわゆる「世論」によって左右されています。

そうだすると「世論」を形成する情報の流れに、私たち1人1人がどれだけ主体的に、自律的に関与できるかが、現代における「自己決定権」の内容であり「民主主義」の内容だということになります。情報には送り手(作る側)と受け手があり、私たちはそのどちらにもなっていますが、とりあえずは受け手の側でだけ考えましょう。

論点は3つあります。

  1. 国や自治体による政策の決定過程と、政策の効果の検証にかかわる情報に、自由にアクセスできるかどうか。
  2. 直接アクセスして検証できない場合、マスメディアやオピニオンリーダーや、インフルエンサーをどの程度信頼することができるか。
  3. これらの情報に接した私たちが、「自分にとって幸福な生き方、幸福な死に方を選択する」為に、情報を分析し判断する能力をどのようにして身に付けるか。

デモクラシーは制度として保障されているだけでは十分ではないのです。多様な人々の多様な価値観や意見が、政策に反映される仕組みが整っていることが必要ですし、そもそも多様な価値観と意見を持つための能力が養われなければなりません。Democracyは、Dignityを実現するために、DiversityやDigitalを必要としているのです。

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