デジタル教育に教師も親も拒否感

今回から、デジタル・トランスフォーメーションの応用部分にも入っていこうと思います。最初はデジタル教育です。

【このブログの骨子】

  • 予算4800億円を投じて小中学生に1人一台パソコンを配布するというGIGAスクール構想は、配布はできたが活用がほとんど進んでいない。
  • 原因は、経産省と文科省の縦割り行政の間で、ネット環境というインフラや指導者の育成というソフト部分が進んでいない部分もあるが、一番には教師も親もICT教育のデメリットばかりに目が向き、必要性を感じられていないという点にある。
  • 現代社会でICTは避けて通れず、世界では少年期から情報リテラシーを高めるデジタル・シチズンシップ教育が盛んだ。日本の場合このままではデジタル革新は困難なばかりか、ネットを介した流言飛語の拡散、いじめなどのリスク回避も困難になる。

学校パソコン、もう返したい 教師の本音「紙と鉛筆で」

2022年2月14日 [有料会員限定]

 義務教育の子どもにパソコンやタブレット端末を1人1台ずつ持たせる「GIGAスクール」構想が空回りしている。国の予算でばらまかれた端末を持て余す現場からは「もう返したい」との声も出る。日本の教育ICT(情報通信技術)はもともと主要国で最低レベル。責任の所在がはっきりせぬまま巨額の税金を投じたあげく、政策が勢いを失いつつある

 GIGAスクール構想は2019年10月の消費増税に伴う経済対策として前倒しで進められた。タッチパネル機能付きのパソコンやタブレットに約3000億円の予算を計上し、全国自治体の98%で「1人1台」が実現。校内の通信ネットワークを整備したり、ICT支援員を雇ったりする費用を含めて総額で約4800億円の税金を投じている。

大がかりな政策の狙いは、教育ICTの遅れを挽回することだった。経済協力開発機構(OECD)の18年調査で、日本は国語の授業でデジタル機器を使う割合が14%にとどまった。毎日かほぼ毎日コンピューターで宿題をする割合はわずか3%。いずれも主要国で最下位に沈んでいた。

ところが、国から自治体、教育委員会、さらに学校という歯車はかみ合わない。それが露呈したのがコロナ緊急事態宣言下のオンライン授業だ。21年9月に夏休みを延長したり、時短授業をしたりした小中学校のうち文部科学省の調査に「実施する」と回答したのは約3割。国によって感染状況が異なり単純比較できないが、レノボ・ジャパンの調査ではインドネシアやフィリピンを下回った。

 関係省庁にも温度差がある。約4800億円の予算は表向き文部科学省の所管だが、目玉政策として1人1台を仕掛けたのは経済産業省だ。生徒それぞれの学習の進捗に合わせて人工知能(AI)で問題を作成するような「エドテック」を振興する意図がある。

 一方、文科省はリーマン・ショック後の09年、教材を大型モニターに映し出す「電子黒板」などの導入を進めた「スクール・ニューディール」のトラウマがある。電子黒板は教師らにメリットが伝わらず、「宝の持ち腐れになってしまった」(同省幹部)。

 GIGAスクールの実現に奔走してきた経産省の浅野大介教育産業室長は、1人1台の実態について「国からの発信もまだ弱く、現場で活用はほとんど進んでいない」と認める。そのうえで教育ICTの重要性を「口を酸っぱくしてでも言い続けなくてはならない」と巻き返しに期待をつなぐ。

世界ではSNS(交流サイト)での公私の区別、フェイクニュースに振り回されないためのリテラシーといった「デジタル・シチズンシップ」の教育が盛んになっている。デジタル社会を生きる子どもたちに自律的なコミュニケーションや批判的な思考を教える。とりわけ米国はトランプ前政権下でネットを通じて陰謀論が広がり、社会の分断を招いた反省がある。

一方、日本の学校教育では、スマートフォンやゲームに依存することへの注意喚起が多い。デジタル・シチズンシップを教えるよりも、学習の妨げになるネットから遠ざけたいという意図がうかがえる。民間調査で保護者が「1人1台」のGIGAスクールに慎重なのも端末が「遊び道具になる」と懸念しているからだ。

いまや10代の主な情報源はSNSであり、「なるべく使わせない」という教育はむしろリスクを増幅しかねない。法政大学の坂本旬教授は「情報を疑う訓練が十分ではない」と警鐘を鳴らす。

新井紀子国立情報学研究所 教授

OECD調べの「毎日かほぼ毎日コンピューターで宿題をする割合」が著しく低いのは15歳、つまり高校1年生だ。しかし、経産省はそれを根拠として小中の一人一台パソコンに突き進んだ。小学3年生まではローマ字入力もままならないにも関わらず、だ。一方、高校の普通教室のプロジェクターやネット環境整備には無関心だ。 OECD調査結果を改善したいなら、高校生に一人一台を配布し、PDF形式で宿題をクラウド上に提出させれば、GIGAスクール予算の1/10以下で済む。経済界もむしろ「そのような人材育成」を望んでいたのではないか。 実態や状況を踏まえず、論理的整合性にも欠けた施策が、現場からそっぽを向かれた格好だ。

中村奈都子日本経済新聞社 編集委員

親や教師など、身近で関わる大人がデジタル教育の必要性を十分理解できていないようです。陰湿ないじめやアダルトサイトなどマイナスに部分に関心が向き、なぜいまデジタル教育なのか本質的なところで腹落ちできていません。負の側面があるのはアナログの世界も同じで、デジタルに限らずメリットとデメリットの両面をきちんと伝えることが子供を守ることにつながります。大きくなってからいきなりデジタルの世界に放り込まれる方がよほどリスクは大きいと感じています。


日本の政治も官僚組織も、世界比較で日本が劣ったり、世論の批判があると、すぐにお金やモノをばらまこうとします。そこに統合された戦略というものがありません。「デジタル教育」といいますが、そもそもその目的は何なのでしょう。

  • 成長戦略の一環としてのデジタル人材の育成
  • ネット社会の弊害に耐性をつける情報リテラシーの育成

もちろん、これらの目的も重要ですが、ほとんどの人が意識していないことは、デジタル化の進展で、初めて個人の尊厳(Dignity)と幸福追求の権利と力を保証するための教育が可能になったという点です。肉体や感覚にハンデイキャップを持った子どもでも、デジタルデバイスの力を借りて、そうでない子供と同じく情報に接近し、自分を表現できます。自宅や学校にいながらにして、世界中の人々の暮らし、文化、価値観、地球の成り立ち、歴史や芸術に触れ、専門家の解説を見聞きすることができます。それぞれの関心や感じ方といった個性に合わせて、自分のキャリア形成に必要な能力を身につけることができます。もはや画一的な知識を暗記するだけの教育の時代は過ぎ去ったのです。

 ところが現場の教師の大部分は、そのような意識も無ければ能力もありません。無理はありません、彼ら自身が教育課程に至るまで100年変わらない教育を受けてきたのですから。

 ❶のデジタル人材の育成を言うなら、真っ先に変わらなければならないのは大学だと思います。時代の変化、世界の変化に最も鋭敏でなければならない、高等教育の現場が、ある意味で最も鈍感かも知れません。何故ならば競争にさらされていないからです。もし、いわゆる卒業単位を、インターネットで世界中のどの大学のどの講義でも聴講して取得できるようになったら、どうなるでしょう?日本の大学の大半は倒産し、大半の教員は失職することでしょう。そうならないように守られているのです。

 まず大学教育と、教育課程の改革が先行すべきです。そうでなければ、デジタルデバイスやインフラを使って、子供たちに本来の目的に即したデジタル教育を行える教師は育ちません。教師に意識と能力があれば、デバイスもインフラも無用の長物です。

 「紙と鉛筆でなければ頭に入りませんよ!」そんな原理主義教師と親たちがはびこる教室で、デジタル教育など不可能でしょう。(K)

        共生社会の実現をめざします!

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