民主主義VS権威主義(その1)アメリカの衰退①

このブログは、ロシアによるウクライナ侵略の2日後に書いていて、戦争の帰趨は明らかではありません。しかし、この出来事によって少なくともソ連崩壊後のヨーロッパの安全保障秩序は崩壊し、新たな冷戦(現実はいつ熱戦に発展してもおかしくない”ぬるい戦争”)時代、民主主義と権威主義あるいは強権政治との優劣をめぐる争いの時代が始まったといえるでしょう。

そこで、「失われる50年」のDemocracyのカテゴリーでは、主にアメリカと中国に焦点をあてて、民主主義Vs権威主義の背景と今後を考えてみようと思います。

*中国やロシアの政治体制を何と呼ぶかについては、過渡期ということもあって定まっていません。民主主義を標榜していても、事実上の1党独裁でかつトップがほぼ権力を独占し、競争者や反対者を情報機関や警察機関によって強権的に押さえつけるという意味で、強権政治、強権主義国家と呼ばれることが多くなってきています。私は、独裁者が権力を正当化する為に、かつての中華圏や超大国ソ連の復興という幻影によって、自分を権威付けようとする性質があるところに注目して、権威主義という呼び方を取ります。

この表は、私が作ったものですが、自由民主主義体制の国と、権威主義体制の国とで、国としての力の要素の強弱に、どのような差があるかを比べて見たものです。Sが相対的に強く、Wが相対的に弱いと考えられることを示しています。これを現状と体制が本来持っている特質に分けてみました。

中国を念頭において考えると、権威主義国家は現状では発展途上国から急成長を持続している段階ですので、成長力があり、格差は広がりつつありますが、まだ全体の床上げ効果が大きいと評価できます。イノベーションについても短期的には、公共投資額が大きいので、民主主義国と互角だと評価できます。

制度的な特質という観点でいうと、個人の自由な発想が許容され刺激されるかどうかが、長期的にはイノベーションや成長で大きな差を生むと考えられます。しかし、そうであっても、権威主義国家は存続しているかぎり、国民の意思に反してでも軍事力を強化し、軍事行動を実行できるという点と、意見の対立を許さないという意味での社会的統合は、自由民主主義体制より優っていると言えます。

以上の基本的性質を頭に入れた上で、日経の記事を基に論点を整理していきます。


アメリカはなぜ衰退したか①

【このブログの骨子】

  • アメリカの国力の衰えとは、民主主義の衰えでもある。
  • 民主主義の衰えの一つの要素は社会の分断で、それは10年前のリーマンショックの後の「ウォール街占拠」運動から始まった。
  • 分断はSNSの普及によって広がり固定化した。
  • トランプ支持者による議会襲撃事件は、世界にアメリカの国力の低下を印象づけた。
  • 分断の長期化は避けられず、民主主義陣営は傷ついた内向きなアメリカを前提に戦略を練らねばならない

アメリカは衰退したのか?という議論が盛んに行われています。繁栄や衰退をどう定義するかによって、評価は異なりますが、今回の「民主主義VS権威主義」の議論の文脈では、2つの事実を指摘するだけでアメリカの衰退は明らかです。

  • 世界の警察官の地位から下りたこと=お金がかけられなくなった
  • 「民主主義の教師」ではなくなったこと=民主主義の弱さ、いかがわしさを世界にさらしてしまった

国力というのは、一般的に意思と能力の掛け算です。国の意思とは、その時の政権の意思ですし、その政権を支えている国民の意思です。その意思が分裂すれば当然、国としての意思は揺れ動き、弱くなります。意思を行動に移そうと思ったら、人、モノ、カネの資源が必要です。行動に費やせる資源が少なくなれば、たとえ意思があって行動に移せません。

冷戦に勝利した30年前までのアメリカには、国としての意思も能力もありました。そしてソ連の全体主義に勝利したという事実が、発展途上国のアメリカ的民主主義への憧れを増大させました。しかし、その後の30年間でアメリカのGDPは相対的に低下し、世界の警察官の役割を果たす能力がなくなり、そして意思もなくなりました。2011年のリーマンショック以降は、国内の貧富の格差が拡大し、世論は分断され、トランプ時代にアメリカの意思の分断は決定的になりました。かつて民主主義国と言われたフィリピンやブラジルやタイなどが、どんどん権威主義、強権政治の仲間入りをしています。

ここでは、2番めの「民主主義の教師」ではなくなったこと=民主主義の弱さ、いかがわしさを世界にさらしてしまったことの背景を見て行きます。

ウォール街占拠事件と分断の始まり

2022年1月6日 [有料会員限定]

右のグラフは、アメリカ人の資産がいかに少数の人々に分配されているかを示しています。そしてその格差はリーマンショックを契機に広がり続け、それがウォール街占拠事件から、サンダース旋風、議会襲撃事件というアメリカの分断を象徴する事件につながりました。

記事は、占拠事件から10年目にあたり、日経がアメリカの歴史学者にインタビューしたものの要約です。

「99%対1%」米の転機に ウォール街占拠10年

2022年1月6日 [有料会員限定]

アメリカ社会を変えたウォール街占拠事件

占拠運動が使った99%対1%というスローガンは人々の記憶に残り、現在でも格差社会を象徴する標語として使われている。民主党がプログレッシブ(急進左派的)な候補者や政策を容認する流れを作った。

金融危機が米国には『2つの社会』があることを示し、人々がその全貌を認識するに至った。1つ目の社会は銀行トップなどに代表される1%のコミュニティーだ。「Too big to fail(大きすぎてつぶせない)」の標語の下、政府の救済を受けた。金融危機の原因をつくったのは銀行だったのにもかかわらず、彼らは交渉力を駆使して政府に守られた。一方で、残りの一般市民の生活は大打撃を受けた

金融危機の米政治への影響

影響は大きく分けて2つある。1つ目は、国民のなかで社会福祉への反発が強まったことだ。保守系の草の根運動『ティーパーティー』に代表される流れだ。政府が住宅ローン問題で苦しむ市民を救済することに反対し、米国は福祉国家ではないと反発したのだ。こうした反・福祉の機運はのちにトランプ政権が生まれる原動力となる

もう一つの流れが、社会正義を求める動き。大銀行は救済されたのに、一般市民が救われないのは不平等だと考える人たちが登場し、こうした機運は、16年大統領選でサンダース旋風を起こす。民主党の大統領選候補争いで、民主社会主義者を自称するバーニー・サンダース上院議員がヒラリー・クリントン元国務長官と大接戦を繰り広げた現象だ。

かつては、急進左派的な主張を繰り広げたり、民主党指導部に挑戦したりすることは、政治的な自殺行為とみられてきた。だが、もうこうした認識はもう古いことが証明された」

この10年を経て、占拠運動はどのように変化したか。

占拠運動当時、米国の資本主義の象徴といえば銀行業界だった。だが今、21歳の娘の世代に占拠すべき場所はどこかと聞いたらビッグ・テック(情報技術=IT大手)と答えるだろう」

占拠運動から程なくして、(格差社会の構造を詳細に論じた)仏経済学者トマ・ピケティの書籍が発売され、米国でも大ベストセラーとなった。収入や富の格差問題に焦点があたるようになり、既存の仕組み全体を変革しようという流れに変わった。矛先はIT大手や富豪、民主党指導部など幅広く広がっている

▼Adam Toozeコロンビア大学教授(歴史学)。英ケンブリッジ大学卒業後、英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を取得。ケンブリッジ大学や米エール大学で教壇に立った後、15年から現職。「暴落―金融危機は世界をどう変えたのか」などの著作がある。英ロンドン生まれ。

(つづく)

        共生社会の実現をめざします!

You Tubeチャンネルに「外国人雇用丸わかり、早わかり」シリーズ動画を掲載しています!

民主主義VS権威主義(その1)アメリカの衰退①”へ1件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です